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心気神経症:どんな病気か

語源と概要

 心気とは、ヒポコンドリーという豆の訳語です。このヒポコンドリーという語は、もともと蕨樅郎の下部」、つまりみぞおちのあたりを指す言葉でした。ギリシア時代には、この付近にある牌臓という臓器の影響で、黒い胆汁がうっ滞すると気分の落ち込み(メランコリー)が起こると信じられていたのです。

 しかし今日、心気または心気症というと、実際には病気でないのに病気であると思いこんで悩む状態を広く意味しています。フランスのモリエールが書いた「気で病む男」という戯曲に描かれた人物はその典型といえるでしょう。

 もう少し詳しくいうと、心気(症)とは「心身の些細な不調にいちじるしくとらわれ、これに必要以上にこだわって、重大な疾患の徴候ではないかと恐れ、しかもその心配を他者に執拗に訴え続ける状態」(吉松和哉による定義)だとされます。

 心気症の状態(心気症状)は、特定のこころの病気に限って認められるものではなく、健常な人が風邪などちょっとした身体の不調から一時的におちいることもありますし、またうつ病その他の精神障害でもしばしば見られるものです。時には病気にかかっているという確信がいちじるしく、妄想といってよいほどの状態になることもあります。

 このように心気症状はいろいろなこころの状態にともなって出現し、その程度もさまざまですが、なかでもこの症状が中核であり(他の症状はあっても目立たず)、それが長期間持続するもの、しかもうつ病など他の精神障害によって起こっているのではないものを心気神経症と呼んでいます。

心が自由になれば、あなたの望みは叶うご覧ください。

頻度

 かつては、ヒステリーが女性特有のものであるのに対して、この心気神経症は男性の病気だと考えられていた時代もありましたが、それは誤解であり、今日では男女ほぼ同率に出現するといわれています。

 この神経症はどの年代にも起こりますが、通常は20~30代に始まることが多く、50歳を越えて初発した場合は背後にうつ病などの存在する可能性が少なくないようです。

発症の要因

 心気神経症は、他の神経症と同様に広い意味でこころの原因(心因)が発症に深く関わっています。もともとの性格は必ずしも皆が同じわけではありませんが、自己不確実感(自分というものが不確かで頼りない感じ)、ものごとに固執しやすい傾向、家族(通常は両親の一方または双方)に依存した生き方などが、比較的共通しているといわれています。

 またわが国の精神科医である森田正馬は、心気という言葉を「ものを気にし、気を使いやすい」という意味に広く解釈し、この心気傾向が神経質の性格素質だと考えました。

 森田のいう神経質性格とは、元来内向的、内省的であり、敏感、小心、心配性、些事を気にしやすいなど弱気の部分強い完全欲、頑固、負けず嫌いなどの強気の部分をあわせ持つ性格を指します。このような性格の人はたしかに身体の調子を気にしやすく、またひとたび気になると、とことんこだわりやすい傾向にあるといえます。

 また心気神経症の人には、子どものころ病弱だったか、または家族の誰かが病気であった人が少なくないといわれますが、これも身体へ過剰な関心を向ける準備因子だと考えられます。

 さらに心気神経症の直接の引き金になるような出来事としては、親しい人の病気や死、自分の病気や手術、心身の過労、仕事や家庭で何か困難に出会ったときなどが多いようです。

 こうした点から心気神経症は、もともとの性格や体質、環境、引き金になる体験が密接に絡み合って発生すると考えてよいかと思います。

症状 

心気神経症に共通する症状の特徴とは次のようなものです。
心身の些細な不調に過敏になること精神科国際診断基準研究会・神経症圏障害検討小委員会作成の診断基準から抜粋してみます。

 よく訴えられる身体症状としては、
①つかれやすさ、倦怠感、睡眠障害などの全身症状、
②頭痛、頭重感、筋肉痛、めまい、しびれ、ふるえ、熱感、蟻走感(からだをアリがはい回っているような感じ)などの感覚症状、
③胸部圧迫感、動惇、呼吸困難などの呼吸・循環器系症状、
④食欲不振、悪心、胃痛、便秘、下痢などの消化器系症状、
⑤頻尿、性欲減退、月経不順などの泌尿・生殖器系症状があります。また精神症状には注意集中困難、記憶や作業能率の低下などがあります。

 これらの症状の内容は、たいていの場合は誰もが経験する正常な身体感覚ですが、不安な気分で絶えずその部分に注意を集中し観察を続ける結果、感覚が鋭敏になっていると考えられます。

 また痛みやしびれや蟻走感などある種の感覚症状は、何らかのメカニズムによって普通以上に強く感じられている可能性があります。
 

その不調にいちじるしくとらわれていること

健康な人では心身の不調が一時的に気になっても、時間の経過とともに注意が他の事柄に移り、いつの間にか忘れられていくのがふつうです。

 しかし心気神経症の場合、絶えず注意は不調に感じられる身体の部分に向けられ、四六時中病気のことにこころを奪われて不安が頭から去らない状態にあるのです。

 しかも、単に注意が引きつけられているという受け身の状態を越えて、患者さん自身が「他に病気の徴候がないか」「悪化の気配はないか」と、積極的に自分の体調に目を向け詮索をやめないところにこの病気の特徴があるといえます。

 このような症状にこだわり、とられた状態におちいると、他のことには関心が向かわなくなり、大なり小なり仕事や勉強などに支障をきたしてきます。このために不安やあせりがつのり、ますます病気にこころが奪われるという悪循環が生じやすいのです。

徹底的な身体的検索によって異常が認められないのに、病気を強く恐れていること

 軽症の場合、病気であるかもしれないという漠然とした不安にとどまることもありますが、典型的な心気神経症では、すでに重い病気にかかっているという考えに固執するのです。

 疾病恐怖の心性自体は、程度の差はあっても私たちの誰もがもっている感情です。「健康でありたい」「死にたくない」「長生きしたい」という欲求が私たちに普遍的に存在するかぎり、その裏返しとして病気に対する恐れもまた誰もが免れないのです。

 この意味で疾病恐怖は根本では死の恐怖に由来するものだといえます。しかし健常者は一時的に病気にかかっているかもしれないと不安を抱いても、病院に行って検査を受け、異常のないことがわかればその不安や恐怖はすぐにも忘れ去られていくものです。

 しかし心気神経症の患者さんは、繰り返し検査を行い、医師が心配のないことを説明しているにもかかわらず、病気への強い不安がいっこうに去らず、「見落としがあるのではないか」と疑って、診察を求め続けるのです。

 一般に恐怖の対象になる疾病には、癌や心臓病など重篤でほうっておけば進行して「手遅れ」 になりかねない病気が選ばれます。

 また例えば頭痛や頭重感には脳腫瘍、動惇や胸部圧迫感には心臓病、胃痛や食欲不振には胃癌というように、患者さんの自覚する症状と心気的に懸念される病気との間には、一応の理解できる対応が認められます。

 さらにやや特異なグループとして梅毒などの性病恐怖が以前からよく見られましたが、最近ではエイズ(後天性免疫不全症候群)にかかったのではないかとの不安を訴える患者さんをよく見かけます。

 これらの患者さんでは微熱や軽微な皮膚の発疹が心気症状の引き金になりやすく、なかには十数回の抗体検査を受けてなお、病気に対する疑念の去らない人もいました。

医師や周囲の人に執拗な訴えを続けること

 心気神経症の人に見られるいま一つの特徴的な行動パターンが、この訴えの執拗さです。多くの患者さんは自分の症状を微に入り細をうがつといった探配で訴え、「病気であること」を主張し続けます。

 しばしば詳細に症状を記したメモを持参し、あるいはワープロで打たれた詳しいレポートを医師に示すこともあります。また先にも触れたように繰り返し身体的検査を求め、異常がないことを医師が合理的に説明してもなかなか納得しません。

 仮に頭では病気でないことを理解したように見えても、感情のレベルではそれを心底受け入れることができないため、いったんは引き下がってもすぐに不安が再燃して、また医師のもとを訪れるという堂々めぐりにおちいりがちです。

 そこで業を煮やした医師が「心理的原因」の可能性を説得したりすると、気分を害して他の医師のところを受診するというように、いわゆるドクターショッピング(頻繁に医者を替えること)に結果することも少なくありません。症状あるいは病気に関する不安や悩みの訴えは医師に対してばかりでなく、周囲の家族にも向けられるため、回りを辟易させることも多いようです。

治療法

 心気神経症の治療は、他の神経症以上に難航することが多いようです。その理由は、心気神経症と一口に言っても患者さんによっていろいろなタイプがあり、すべてに有効な治療法というものが見あたらないこと、また本来心理的原因から生じているにもかかわらず、患者さん自身が心理的治療に抵抗を示し、あくまで身体的検索と「病気」に対する身体的治療を求めてやまないという、この神経症特有の問題が存在するからです。

 したがって患者さんひとりひとりの性格や発症状況、症状に向かう態度をよく吟味した上で、その人にあった治療を選択することが前提となります。ここでは一般に適用されることの多い治療法を紹介することにします。

薬物療法

 まずもっとも使用されることの多い薬物に抗不安薬があります。そのほとんどがベンゾジアゼピン系の薬物で、代表的なものにジアゼパム(セルシン、ホリゾン)、ブロマゼパム(レキソタン)、ロラゼパム(ワイパックス)、エチゾラム(デパス)、アルプラゾラム(ソラナックス、コンスタン)などがあります。またセロトニンという脳内物質の伝達に影響を及ぼすタンドスピロン(セディール)という薬も用いられています。

 しかしこれらの薬物が心気神経症の症状を除去することはまれであり、ふつうは治療の補助的手段にとどまります。特に患者さんの不安や緊張、いらいら感が強い場合や自律神経系の身体症状が目立つとき、また例えば実際の病気をきっかけにして一時的に心気症状態におちいったというような場合には、これらの薬物によって症状の軽減が期待できます。

 その他、スルビリド(ドグマチール、アビリット)という抗精神病薬の一種やイミプラミン(トフラニール)、クロミプラミン(アナフラニール)、アモキサピン(アモキサン)などの三環系抗うつ薬、さらに選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)に属するフルボキサミン(ルポックス、デプロメール)やパロキセチン(パキシルなどが時として効果を上げる場合があります。

 これらの薬はうつ病にともなう心気症状ばかりでなく、心気神経症に悩み二次的に抑うつ状態におちいっている場合にも有効なことが多いようです。

 また上記のような薬物を投与することは、単に直接の薬理作用だけでなく、「病気である」という患者さんの主張に医師が考慮を払い、これを尊重して「治療」を行っているという象徴的な意味あいをもち、一種の心理的な効果があるといえます。

 しかしその一方、患者さんの求めに応じて次々と薬の種類を変えたり、症状を取り去ろうとしていたずらに薬の量を増やしたりするとかえって症状が悪化することがあるため、注意が必要です。

 いずれにしても、これらの薬物治療は次に述べる心理的な治療と一体となって行われるべきものです。

精神療法

 一般に神経症の治療で主役を果たすのが精神療法(心理療法)です。しかし心気神経症に精神療法を実施することがむずかしいのは先に述べたとおりです。

 身体的な「病気」 にかかっていることを信じている患者さんが、自分から精神科を訪れることは例外であって、多くの場合は身体科の医師に紹介され、しぶしぶ精神科を受診するに至ったのです。

 したがって患者さんは心理的治療を望まないばかりか、精神科に来ること自体に怒りや屈辱感をもっていることが多く、このために医師との間に安定した信頼関係を作ることが容易ではありません。

 また医師の側でもこうした患者さんの態度にいらだちや無力感を覚えやすく、ついつい理屈で説得しようとしたり、心理的な問題を性急に指摘したりして、余計に患者さんの不満がつのり、治療関係がこじれてくる傾向にあります。

 上記のことから、精神療法を受けるにはどのような種類の治療であるかという以前に、まずこうした心気神経症の心理をよく知る専門医にかかり、患者さんの怒りを助長しないようにゆっくりと精神療法に導入してもらうことが大切です。
 

精神療法

 心気症状、疾病恐怖は死の恐怖に起因するものであり、
その背後には「よりよく生きたい」「健康でありたい」などの
生の欲望が強く存在します。

したがって病気への不安は人間にとって普遍的であるのに、
心気神経症の患者はその不安を排除しようとする余り、
かえって自分の身体に注意が奪われ、
いっそう体調に過敏になるという一種の悪循環が生じている。

その結果、患者は「病気」である可能性に
心がとらわれていくことになります。

このような理解に立って、
患者さん自身が、病気への不安をあるがままに受け入れ、
その根底にある生の欲望を建設的な行動の形で発揮するように促し、
とらわれの突破を目指すのです。

 精神療法は治療として優れた実績をあげていますが、
患者さん自身が治療に主体的に取り組む必要のあること、
神経質性格の人にもっとも効果的であるなどの特色があります。

したがって心気神経症の中でも、このような性格傾向にある人、
また心身の不調へのとらわれ(悪循環)が明白で、
この点についてある程度医師の説明に納得していることが
大切となります。

患者さんの感情(恨みや怒り、または依存の感情があるといわれます)に共感を向け、
なるべくそれらの感情を患者さん自身が言葉に表現できるよう
援助を行うことなどが提唱されています。

心気神経症の中でも、
ことに他者に対して「病気であること」をアピールしてやまず、
周囲がそう認めないために症状や人間関係がこじれているような場合、
このような治療が適応と考えられます。

アドバイス

 心気神経症の患者さんの家族に通常見られる心理とは、およそ次のようなものでしょう。

 当初家族は、親身になって患者さんの状態を案じ、本人と同様に「病気」を心配し、早く「診断」がついて「治療」が開始されることを待ち望んでいます。

 しかし度重なる診察や検査にもかかわらず「病気」が否定されると、次第に周囲の人は患者さんの過度の心配にいささかうんざりし、「気にしすぎ」ではないかと疑うようになります。

 さらに医師から「病気でなくこころの問題である」との説明を受けていたりすると、患者さんの執拗な訴えにいらだった際、「気のせいだ」と突き放してしまいがちです。

 しかしこのような対応はあまりよい結果をもたらしません。多くの場合、患者さんは親しい家族にも「わかってもらえない」と感じて、情けなさや恨みの気持ちを強め、よりいっそう「病気」にしがみつくことになりやすいのです。

 したがって周囲の人は「病気である可能性」を真っ向から否定せず、患者さんの苦しさを汲んであげることが望ましいのです。

 少なくとも主観的には患者さんにとって「病気であること」は現実であって、そのために不安や苦痛にさらされていることも確かだからです。心気神経症と詐病(病気であると偽ること)とはまったく異なるものなのです。

 しかしその一方、患者さんのいうことすべてに周囲が迎合し、「病人」だからといって何もしないで寝ていることを勧めたり、あるいは際限なくドクターショッピングにつきあうこともまた、患者さんの神経症的な行動パターンを固定する結果になりがちです。

 仮に仕事や学校を休んでいるにしても、時には家事の手伝いや散歩や買い物などに誘ってみてはどうでしょうか。そして「病気」であっても行動できたことを患者さんとともに喜び合う雰囲気が大切です。

 またあちこちの身体科を受診しているような場合は、さりげなく「こころと体はつながりがあるかも知れないから、念のために精神科も受診してみたら」というくらいの勧め方がいいと思います。

 さらに治療によって心気症状が改善に向かってきたときは、あまり「良くなったこと」を本人に強調せず、症状を持ちながらも生活に努めている患者さんの労をねぎらうような言葉をかけていくのがいいでしょう。

 しばしば患者さんは「良くなった」といわれると「悪くなる」傾向にあることが指摘されています。

 心気神経症の人を身近に抱えた場合は、以上のような点を念頭に置いて、本人が症状を受け入れつつ生活を立て直していけるよう、根気強く見守ることが大切です。 



不安な気持ちになる自分-「いい子」を演じるのに疲れたわたし
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気になるところの悩み